04.慈雨




焦げた肉の匂い。
鼻を突く嫌なその匂いに、目眩がする。
返り血がこの手に付いているわけではない。
それなのに…、右手の震えがとまらない。
辺りは屍の山。
目蓋の裏に焼き付いた、あの怯える瞳。
仲間から浴びせられるのは、陰口。

『アンナノハ人間ジャナイ』

『神経ガ麻痺シテイル』

『ソノ名ノ通リ、軍ノ犬ダナ』

…勝手に言ってろ。
体力的な問題じゃなく、精神的な話。
もう、自分自身がどうなってもいいんじゃないかとさえ思う。
いっそのこと、このまま壊れてしまおうか…?

「…!」

声?
この枯れはてた地獄の中で、耳に入ってくる。
うめき声や、非難以外の。
顔を上げれない。
もう…疲れた。
人を殺して生きていく。
こんな、一方的な殺戮を生み出しているのは、自分自身。
イシュヴァールの民と見れば、機械的に体が動く。
その鼻先で、微笑みを口元に浮かべながら、右手を突き付けられる。
それを、当たり前のように繰り返す日々。
たとえそれが女であっても、子供であっても。
本心では、本当はそんなことを望んでいるわけではない。
…そう思いたい。
そう、思っていたい。

戦争

自我を奪われ、ただただ兵器としてしか扱われない世界。
自我を殺し、命令という建て前を被って人を人とも思わずに殺していい世界。
この手を血に染めて、誰の屍であっても踏み越えていく世界。

今、目の前の子供を焼き殺したのは、本当に命令されたからか?

自分自身の意志ではないのか?
考えるだけ、思考は泥の中に埋もれる。
真実なんて何もない。
人間なんてここにはいない。
逃げることも許されず、犬らしく仕事をするのみ。
こんな私が人である訳がない。

「…!」

また。
耳に絡み付く、優しい声。

「誰だ?」

焼け焦げた屍以外は、誰もいないのに。

「…佐!」

高い、女の声?
私を呼んでいる。

「どこだ?」

誰もいないのに、どこからか聞こえてくる。
胸の辺りがぐっと痛くなってくる。
ピタン…
額に何かがあたる。

「雨?」

決して強くなることはなく、しかし次々と顔の上に降ってくる。

慈雨

あたたかい。
温かい大粒の雨に顔を打たれながら、目を瞑る。


「大佐!」

目を開けると、見知った鳶色の瞳が目の前にあった。

「ホークアイ少尉?」

いつも傍にいてくれる副官を前に、どうやら私は目を覚ましたらしい。

「やっぱり。あの時の夢を見ていたんですね…」

心配そうに涙をこぼす彼女を見て、あぁと微笑む。

「全くその通りだよ、ホークアイ『中尉』
怪我はなかったかい?」

「いいえ、ありません。貴方が庇って下さったから…」

そういって、怒った顔で彼女は私を見つめる。
その眼から零れている涙を指で掬おうと体を起こし、体中に激痛が走る。

「大佐っ!安静にしていて下さい!」

止めるどころか、一層増してそれは溢れだす。

「大丈夫だ。大したことはない。」

「『大したことはない』!?8時間の手術の上、丸1日意識が戻らなかったんですよ!!」

…そんなにも時間が過ぎてしまっていたのか。
確かに途中で意識が遠退いて…。
最後に見たのは…そう、ハボック少尉達が駆け付けてきて、そこで記憶は途切れている。

「なぜ、私を庇ったのですか?私が貴方を守らなくてはいけなかったのに」

世界中の誰を殺してでも一番守りたいと思った人は、涙ながらに訴えた。
愛しているから。
そんな答えを聞いても、きっと彼女は納得してくれない。

「女性を守れなかっただなんて、焔の錬金術師の名が廃るとは思わないか?」

口元のかすかに引きつる微笑みを向けると、涙声ながらにいつもの辛口が返ってきた。

「いったい、何を錬成してるんですか…」

腕を強く引いて、胸に抱き寄せる。

「!」

「心配させてすまない、リザ」

打たれた背中が痛むが、気にしてなどいられなかった。
腕のなかの人は、私の胸にグッと頭を押しつけた。

「君を失うのはこわい」

「私が、貴方を失うのが平気だとでも?」

胸元にしがみつかれる。
その白く細く、柔らかい指が震えていた。

「平気じゃないと、言ってくれるのか?
それは、仕事上の問題とはとらないが。それでも?」

「…今、それを私に言うんですか?」

あぁ、またそうやって泣く…。

「貴方のその姿を目の前にして、泣く私を見ておいて!!」

泣いてほしい訳じゃないのに。
どうすれば君は泣き止むんだ?
小さな子供のように、抱き締めて。
それでも泣きじゃくる君を。
とても、愛しく思える。
だから守りたい。誰かの手で壊されるなんて許さない。

「私は、自分の判断を誤ったとは思っていない。」

「絶対に間違っています!」

「君を守れなかったら、私は深く後悔していた。」

「逆に私が今、後悔しています」

「だから今度から…」

彼女を見て言おうとしたら、視線がぶつかった。
そのまま絡まる。
顔の距離が無意識に近付くのは、相手を欲しているから。
トントン‥
病室のドアが叩かれた。
残念。

「誰だ?」

「俺です!」

返事とともに慌てて入ってきたハボック少尉が、私を見てベット際まで駆け寄ってきた。

「看護婦が、大佐の部屋から話し声がするっていってたんで、見に来たんスけど…」

最後の方は、私の目を見て言うハボック。

(…お邪魔だったみたいっスね…;)

邪魔に決まっている。
邪魔以外の何者でもない!
中尉は俯いてはいるが、まだ泣いているのかわからない。

「あぁ、今さっき気が付いた。心配かけたな。
仕事の方はどうなっている?」

仕方ないのでさり気なく少尉に話をする。
すると彼は両手を大きく広げてみせた。

「全っ然問題ないッスね。すべて中尉が仕切ってくれてて、いつもより捗るくらいですから」

「ほぅ、それなら私は当分休暇をとるのもいいな。」

つい昨日、視察で町に出ていた。
そんなに荒れていたわけではないが、連続殺人事件の現場で、先にハボック小尉達が行っていた。
会議で遅くなり、中尉と駆け付けたところを襲われた。
いきなり発砲。
気付くのは遅れたが、1発目はずれて足元をかすっただけだった。
すぐに2発目を撃とうとする相手の男に、素早く中尉が銃を抜いた。
しかし、足元のわずかな段差に気付かずに、足首をひねり横転する。
指を弾く余裕なんてなかった。
相手の銃口が彼女に狙いを付けたとき、私の体は彼女をかばうように抱き締めていた。

そして、背中に突きささる弾丸。
『大佐―――っ!!』
腕の中で籠もる、聞き慣れた彼女の絶叫。
意識はそこで途切れている

チラっと視線を中尉に向ける。
特に反応はない。

「止めといた方がイイと思いますよ?
大佐の書類はきっちり仕分けして、執務室に積まれてましたから。」

冗談かと思いたかったが、彼女のことだ。
後でしっかりと仕事をさせてくれるつもりだろう…。

「…仕方ないな。
なるべく早く戻る、それまでは頼んだぞ」

「イエス・サー!」

言うと、少尉は素早く敬礼した。

「それじゃあ、そろそろ司令室に戻りますか」

お邪魔しましたと口パクで私に言い、奴がドアに手をかけた時だった。

「それじゃあ、私も」

スッと彼女が立ち上がった。
目元は赤く腫れていて、目もまだ潤んでいたけれど。
彼女は礼をして、ハボック少尉に並ぼうとした。

「少尉!ホークアイ中尉には少し話がある。
1階の待合室で待っておいてくれ」

少尉は中尉を見たが、彼女が一言「先にいってて」と声を掛けたので、先にドアの向こうへと消えた。
二人残された状態で、彼女はこちらを向かなかった。

「さっき言い掛けた事だ。」

「…どうすれば貴方はおとなしく守られてくれますか?」

今度はしっかりとした声で。
その眼のなかに、先程までの甘い色はない。
…あいつのせいじゃないか
後でどうしてくれようか…。
瞬きひとつしない眼が見つめてくる。
しかし、それを呑むことはできないのだよ中尉。

「君は私を守ってくれる。だから私は君を守る。」

「ですから、それでは私は全然貴方を守れては…」

「中尉、私が君に守られていると感じるのは、何も攻撃から守られている時だけじゃない。
さっきだって…、あの悪夢から救いあげてくれたのは、君のその涙だった。」

癒しの雨
壊れそうになるこのココロを癒してくれるのは、いつも君だ。

「そんなのは偶然で…。私が貴方を守るのは…義務ですから。
貴方も私達に守られる義務だっておありでしょう?」

義務という言葉を使うとき、彼女は苦しそうだった。

「だけど私には、人はだれしも愛する人を護る義務も権利も持ち合わせていると思うんだが?」

君が傷つくのを黙ってみているだけなんて、心が壊れてしまう。
黙ってしまった彼女は、小さく呟く。

「それじゃあ、私にどうしろと?」

「今までと同じだ、私に護られないように護衛も頼む」

不貞腐れてる。
泣き虫でないはずなのに、彼女をよく泣かせてしまう。
頼むから、他の男の前でその涙はみせないでくれ。
人を癒すその慈雨は、どうか私の為だけに‥。
一瞬の気を抜いた瞬間に、目の前を金の髪がさらりと揺れた。

「なら、今までと同じように仕事もきちんと用意してまっていますので。
早く戻ってきてくださいね。」

鳶色の瞳が閉じられた。
少しだけ、私に負担をかけないように掠めるだけ。

「護ってくださって、ありがとうございます
すごく…嬉しかった」

そしてそのままドアの向こうの世界へと消えた。



温かく、優しく、強い人。
私が壊れたら、君はそうして泣いてくれるんだろうな。






END



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