05.苦




眠い。
とてつもなく、困ったほどに眠い。

まだ中尉も書類を片付けている頃だろう。
だから残業なんて嫌いなんだ。

面倒な書類ばかり山積みにで。
(…私が昼間に逃げたからだが;)
唯でさえ疲れて体を動かすのがしんどいのに。
(おそらく彼女の方が、体はだるいだろう…)
眠気が嫌というほど襲ってくる。
(…昨夜はほとんど寝なかったから…)

結局はすべて自業自得だと言う事に気付き、大きく溜息を吐いた。
そして、彼女に…悪いなぁと思う。
つまりはそれだけ、昨夜付き合わせたので体に相当な負担がかかっている筈。
今更謝って済む問題ではないのだが。

コンコンッ

「ホークアイです」

「あぁ、入れ」

あぁ、声はしっかりしている。
一応は彼女も大丈夫そうだな。
顔も上げずにそれだけ答えると、最後の束をめくる。

「失礼します」

戸が開く音がして、靴音は毛足の短い絨毯に吸い込まれる。
カチャカチャと陶器のあたる音がする。
何か入れてきてくれてる…?
彼女はそのまま机の端にトレーを乗せる。

「それで最後ですか?」

三枚程の書類の束を捲り、二箇所にサインを入れた。
内容は斜め読みで簡単に理解できる。
もともと報告はいくらか聞いているものばかりだ、その辺は早い。
それをサイン済みの書類の山の一番上に乗せ、万年筆のキャップを閉じる。

「お疲れさまです」

目の前にコーヒーが入れられた。

「ありがとう。君は、終わったのか?」

「はい、もう司令室もほとんど皆帰っています」

大きなトレーに乗っていたたった一つのコーヒーカップ。
どうやらココに来るまでに、司令室に配ってきたのだろう。

彼女の目の下には、薄くだがくまが出来ていた。
化粧で薄く見えるが、確かにある。
それを見て罪悪感が涌いてくる。

「すまなかったな…」

「?」

「無理を…させた。体は大丈夫か?」

クスクスっ…
真剣に心配している私を見て、彼女は笑っているようだ。
何だというんだ、こっちは無理をさせてしまって悪かったと、本気で思っているのに。

「中尉?」

少し睨むように語尾を上げると、彼女は口許を押さえたままで答えた。

「えぇ、はい。どうしたんですか、急にそんなこと」

何がおかしいんだ。
けれど、どうやらいつもの彼女のまま。
そこまでの負担はなかったらしい。

「大佐の残業は昼間逃げた大佐の責任ですけれど、私たちの残業はテロリストのせいですから。」

「あぁ」

だけど。
好きな人に無理をさせたくはないと思う気持ちに変わりはない。
彼女がどこまでわかっているのかは知らないが。

入れてもらったコーヒーは、いつも彼女が入れてくれるもの。
別に女性だから入れると言うわけではなく。
それどころか、司令室の面々にとって彼女は上官だ。
普通ならば上官に入れさせていい訳がない。
これは、彼女の心配り。
もちろん、曹長や少尉が入れることだってある。
ただ、中尉の入れてくれるコーヒーがおいしいというだけ。
それを私が口に出したら、彼女が私のところまで入れて運んでくれるようになった。
もちろん、砂糖もキッチリ入れて。

「もう、帰るんだろう?途中まで送ろう」

「私がお送りするのではなく?」

「女性を送るのは普通だ」

「送り狼にはならぬよう、お気をつけ下さい」

「・・・・・・そんなに信用ないのか、私は」

クールにズバズバと言葉を突き刺す彼女に、送り狼変身前だった私は少し傷ついた。
先にそう突っ込まれてしまっては、なりようもない。

カップに指を引っ掛ける。
コーヒーの匂いが漂っていた。
一口。

「っ!!…何だ、この苦さはっ!?」

いつものそれの軽く3倍は苦い。
絶対砂糖なんか入っていない。
というか、あきらかに濃い!

「中尉、苦いぞっ…」

眉の間におそらく何本も皺が入っている状態だろう顔で、彼女を見上げる。
しかしながら、彼女はというと。

「何か?」

眩しい笑顔での対応。

こんなコーヒーを司令室に配ってきたと言うのか?
まさか。
ありえない。
いや、しかしだなぁ…。

……嫌がらせか。

「…いや…何でも…」

「そうですか。では、着替えて下で待っておりますので」

一応、送らせてはもらえるようだ。

彼女が出て行った後、濃い色のコーヒーがたんまりと残っている。
苦そう…というか、苦い。
残したら、何を言われるか。
意を決してカップを煽る。
苦い苦い苦い!!!

口の端を手の甲で拭ったら、小さなしみができた。
ヤバい…。
こういう時は何をしても上手くいかないものだ。

左手でカップの底を撫でると、指先に何か当たった。
セロハンテープの感触。
少し高く上げて底を覗き込んでみる。

「これは…」

鍵が貼り付けてあった。
剥がしてみると、どうやら家の鍵のようだ。
彼女には私の家の鍵を渡してはいるが、返されたわけではなさそうだ。
私のものではない。
けれど、どこかで見た事のある形…。

「まさか、中尉の家の?」

よく休日に彼女の家に行っては会えなくて、ドアの前に待っているから?

「私に?」

クスっと、微笑みがもれる。
彼女が一つまた私を許してくれた。
しかも、コレは大きな一歩。

飴と鞭とはよく言ったものだ。
見事に掌の上で転がされてるではないか。

溜息一つ、その鍵をサイフの中に仕舞う。

今度の休み彼女の家に行ったら、あの犬は歓迎してくれるだろうか?



「…吠えられて終わりか;」






END



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