09.抱




「中尉、まだ帰ってなかったのか」
司令室の方で、緊急の書類を片付けていた。
皆が帰った後に突然舞い込んできた仕事。
帰ろうと荷物をまとめた矢先の出来事。
無視して帰るわけにはいかない。

部下の失態は、上司の失態。
緊急だと回されてきた仕事を放置しておいても、責任は私の元には来ないのだ。

全てあの人の元へ行ってしまう。
誰がそんな事を望むものか。

そうして結構の量を片付けた時、突然扉が開いたのだ。
見回りの警備員ではない。
こんな時間には来ない。

「…大佐?」

いつものコートを手にかけて、彼はこちらを覗いていた。
私の声に、あぁと声をあげ、そのままコッチに歩いてきた。

確か彼は定時で帰っているはず。
デートだとか言い散らして、機嫌よく出て行った。
なのに、何故こんなところに?

「コレは?」

処理済の書類を一枚摘み上げ、彼は目を通す。

「帰る間際に、中央から」

一言いうと、そのまま万年筆を再び動かす。
もうほとんど減った。
あと1時間もあれば全部終るだろう。

「他の奴等はどうした?」

「先に帰っていましたので」

いちいち呼び出してする気のないのを、どうやら彼は感づいたらしい。
大きく溜息をついて、コートを隣の席に投げ捨てた。

「何かお入れしましょうか?」

あえて手を止めずに、聞く。
幸い彼からは酒の匂いはしない。
ディナーを終えて帰ってきたのだろう。

「この場合、私が入れるべきなんじゃないのか?」

「大佐に入れてもらう貰うわけにはいきませんから」

横から視線を感じる。
いつものパターンからすると、拗ねているのだろう。

バサッ…

目の前の書類がごっそり減った。
ハボック少尉のデスクに座りこみ、自分の万年筆を胸ポケットから取り出していた。

「大佐?」

「コレくらいならかまわん、私がする」

「色ボケの方にお願いするほどではないかと思いますが」

「色ボケ…って、君ね」

げっそりした声で彼は呟いたが、それでも手はしっかりと動いている。
しかも、早い。
いつもコレくらいの集中力を出してくれるなら、私達ももう少し楽なのかもしれない。
少なくとも、逃げずにいてくれるなら仕事は確実に一つ減る。

彼とデスクを並べてこんな風に仕事をするのは変な気持ちだった。
いつも彼は私達とは離れている。
何せ現在、東方司令部司令官なのだ。
隣にいるのは、変なのだから。

手元の書類を片付けて、出来た分を分けて、封筒に詰める。
時計の針は、もう10時を指していた。
お腹も減る。

やっぱりコーヒーでも入れようと立ちあがると、隣でパチンと万年筆のキャップを閉じる音。

「終わったぞ」

そして、振り向く寸前で、その腕が私の腰に巻きついた。
強く引き寄せられ、軍靴がふわりと浮いた。
「なっ…」

抱え込まれたのは、彼の膝の上で。
まるで子供にするように、椅子に座っている彼の上に座らされた。
そのまま強く抱きしめられ、身動きが取れなくなった。

「いいじゃないか、少しおとなしくしたまえ」

悔しいのでその手を解こうと試みる。
が、うなじに吐息が絡み付き、体の力を抜かれてしまう。
ギュッと目を瞑って、キッパリと言いきる。

「いいえ!そんなに女性が好いのなら、今日のお相手にでもお声をかけてください!」

「嫌だ、君が好い。君じゃなきゃ嫌だ」

「とっかえひっかえデートなさっている方に言われても、真実味がありませんっ!」

「…なんだ、妬いてたのか?」

「妬いてなどいません!!」

すごく腹が立つ。
何でこんな人を好きなんだろう。
どうしてこんな人に忠誠など誓ってしまったんだろう。
あぁ、もう!

「何で戻ってきたんですか!」

どうやっても解けない彼の手をつねりながら、振り返ろうと奮闘する。
しかし彼は振り向く私の顎を、人差し指でグイっと掴む。
「君に会いに」

嘘つけ。
さっき『まだ帰ってなかったのか』って言っていたのは何処の誰だ。
こんなコトを平然と言ってしまえるんだから、ダテにプレイボーイをやっているわけじゃないらしい。

あぁ、本当に私はなんて人に…。

「送り届けて帰りに君の家に寄ったら、君の犬が一人で転がってたからな。
とりあえずエサは与えておいた」

…まさか、それで迎えに来たとでも?

私の手から力が抜けた事に気付いたらしく、きゅっと抱き締められた。
うなじに口付けられる。

「中尉?」

「…ありがとうございました…エサ」

真っ赤になってるであろう顔を見られたくなくて、下を向いた。
きっと、バレているのだろうけれど。
彼がクスクスと笑っている事は、わかる。

「今日の人はどこかの将軍のお嬢さんだそうだ。コネはいくらでも必要だろう?」

「そうですね」

声が固くなる。
こんなにも反応してしまう自分が恨めしい。
この人が喜ぶだろう反応をしてしまうなんて、自分の首を締めているようなもの。

「何か食べるか?まだ店も開いてるだろう」

食べてきたんじゃないんですか。
貴方の胃袋はどうなってるんですか。

私の言いたい事をわかっているかのように微笑んでいる。

「食べたのは何時間も前だ」

仕事中にはこんな柔らかい微笑を誰にも見せないくせに。
こういう顔をして私を誑かす。

戦闘中には、指先から迸る焔を操るくせに。
夜になると私の指にそれを絡めて。

その唇から、痛いほどの命令を告げるくせに。
嬉しそうにする口付けは、溶けそうなほど甘い。

「着替えておいで」

耳元で囁かないで下さい。
気が遠くなったらどうしてくれるんですか。

「離していただかないと、着換えられません」

「抱き締めてくれたら、離すよ」

どういう注文ですか。
少し腕を緩めて、私を見下ろす。
楽しそうに微笑んで…なんて楽しそうに…。
イタズラ好きの子供みたいに、そんな顔して笑わないで。

腕を回す気にはなれない。
体をゆっくりと捻ると、彼と向かい合った状態になる。
どうやっても膝の上から下ろしてはくれないらしく、片方の手で脚を引き寄せられた。
両手で彼のジャケットの胸のあたりをギュッと握り締める。
上等な私服のジャケットは肌触りがいい。
そのまま、頬を摺り寄せるように頭を預ける。
全身に力が入る。

「何を食べに行こうか。アーケードのトコロのフレンチレストランは?」

目を閉じたまま、軽く腕を回される。

「今日貴方がデートに行った所は?」

「君ね…嫌がらせかい?」

もちろん、いやがらせ以外の何物でもない。
困ったような彼は好き。

「どこでもいいですよ、もちろん奢ってくださるんでしょう?」

女性に払わせない彼だから、そんな事は当たり前だ。
更には上司なのだから。

こんなことに反応しているようでは、焔の錬金術師の名が廃りますよね。



「もちろん。ただし、今夜は覚悟したまえよ」






END



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