18.寝




瞼が重い。
最近の残業続きが響いてきたのかもしれない。
でも、このまま寝るわけにもいかなくて。

あの人の所へ書類を受け取りにいかなくちゃ…。
誰かが気付いて行かないと、集中している時のあの人は何にも口にしないから。

どうしてこんなにも、身体が言うことを聞いてくれないのかしら。


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子守唄が聞こえた。
以前、一度だけ聞いたことのある唄。

安らかに
健やかに
優しき夢の羽に包まれて
どうか愛し子よ
我が腕の中で眠れ

身体に染み込んでくる、甘い声。
低く、緩く。
心地いい。

頭皮を優しく撫でている指が、やけに気持ちよくて。
夢と現の狭間で、波に揺られる。

「んっ…」

少し頭を動かすと、頭を撫でていた手が止まる。

催促するように、小さくかぶりを振った。

「リザ?」

唄を奏でていた声が、呼び掛けに変わる。
私の名前を、泣いてしまいそうになるくらいの甘やかさで奏でる。

「起きたのか?」

頭にあったはずの手が、頬をゆっくりと撫でて行く。
骨張った、指の腹の皮が固い、長い指。
うっすらと目を開くと、形のいい爪が目の前をチラついているのが見て取れた。

自然にその指先が私の唇を撫でていく。
それに誘われるかのように、そっと舌先でそれを舐めた。

「リザ?」

瞬間、ぴくりと振動が伝わる。
しかし指先は変わる事なく、まるで唇を下心なく愛撫するかのように。
小さく歯を立ててやると、くすぐったそうな笑い声が降ってきた。

「そろそろ、起きてはどうだ?」

クイッと顎を軽く捕まれ、上を向かされた。
逆光で、しかし見て取れる微笑み。

目を細めて見ていると、その整った唇は弧を描いて降ってきた。

「これは失礼、眠り姫」

楽しそうに、口付ける。
ぴったりと唇と唇をあわせて、そして離す。
一瞬の間をおいて、今度は口内を侵す口付け。
無駄に広い部屋に、粘着質の水音がやけに滑稽に響く。

光る銀の糸を引きながら、互いの距離が離れる。
まだ、息の届く、そんな距離。

「…書類は、間に合いましたか?」

ふと、彼の顔を見て気になった事を告げると、帰ってきたのは驚いた表情。
そして、呆れたように溜息をつく。

「君ね、もうちょっと他に聞く事があるだろう?」

「間に合ったんですよね?」

何よりも重要な事。
私がこんな所にいるということは、きっと倒れたのだろう。
何せ、中途半端な所で記憶が切れている。

「もちろん。さっきハボック少尉に預けた」

ということは、少なくとも私がここに居ることは彼には知れている。
あっちの心配は多分しなくていいということらしい。

「それで、私はどうしてこんな所に?」

体を起こそうとすると、大佐の腕に押さえられ再び膝の上へ。
そこでようやくこの状態に気付いた。
『膝枕』をされていたのだ。
通りで、さっきからこの人の機嫌がやけにいいと思ったら…。

「君が来るのが遅かったのでね、持っていこうとしたらこの部屋の扉の前で倒れていたよ」

そしてそのまま、ここで介抱されていたらしい。
何て不覚。

「医務室に連れて行っても良かったんだが…寝不足だろう?」

通常業務に加算される内密な作戦。
軍にたてついて何かをするなら、まずは表側を固めておかなければならない。
いつもの仕事は、確実にこなしておかなければならないのだ。

家に帰っても、まともに寝られることも少なく。
睡眠不足はわかってはいたが。
よりにもよって、仕事中に倒れるなんて…。

「フォローは任せてある。気にするな」

「気にするなと言われて、気にせずにはおれません」

「せっかく二人きりなのだから、もう少し甘えてみないか?」

「仕事中に、二人きりも何もありませんから」

そうして諦めたのか、その体制のままで隣から何かを引っ張り出している。
紙袋の音がガサガサとして…
次にクシャクシャという、高い音…

振り向いた彼はそのまま甘いマスクで、キスを求めてきた。
上を向いたままの私に避ける術があるはずもなく。

「っ!!」

口内に転がり込む異物感に気付いた時はもう遅く。
下を絡められ、そこから伝う唾液に乗せて飲み込まされてしまった。

薬。
栄養剤だか媚薬だか知らないが、この男に飲まされてただで済むはずがない。
どうせ何か考えて…

「ただの睡眠薬だ、もう2・3時間は寝るべきだからな」

もしかしたら、実は一番タチの悪いものだったかもしれない。
既に飲み込んでしまった後なだけに、今更どうしようもない。
確かに体は休息を求めているし。
その上、どれだけ抗っても数分後には意識はないのだろうし。

「仮眠室がいいなら、移動するか?」

「…そっちの方が安心できます」

言っているうちに、どうにもこうにも瞼が重くなってきた。
体も重く、力が入らない。

「わかった、仮眠室へ連れて行っておこう」

あぁ、やだ。
この人の事だから、きっと平然と私を抱きかかえていくんだわ。
そんなの人様に見られるに決まってる…。

停止しかけている脳内で必死に抵抗してみるが、できるわけもなく。
温かい膝の上で髪を撫でられる行為が名残惜しくて。
ただ、ほんの少しだけ…欲が零れた…。

「…の方が…」

「リザ?」

夢の中で呟いた本音が、彼に聞こえるわけがない。
だから、たまには。

「…大佐の…膝の上の方が好き…です…」






END



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