20.就




心配しなかったといえば、嘘になる。

「君には潜入捜査を頼みたい」

そう言って渡した資料を、彼女は簡単に受け取り敬礼を返した。

「どこへなりとも」

それは上官の命令を受けた部下のそれであり。
私の元を離れて敵の真っ只中へと潜入することに対する不安などは、欠片程もない。
まぁ、ポーカーフェイスの彼女なのだから、こういうことはいつもなのだが。

少々不満げに見つめていると、彼女の眉根がピクリと動いた。

「何ですか?」

訝しげにこっちを覗き込むその顔は、それでもやはり副官で。
悔しい…と言うのが一番正しいのかもしれない。
机に両肘をついて、組み合わせた指の上に顎を伸せ、上目遣いにチラリと見上げる。

「私が傍にいなくて、平気かい?」

返ってくるのは冷たい視線。

「大佐こそ、私がいなくても平気ですか?
帰ってきたら書類が山積み…なんてのは許しませんよ?」

ふん、と腰に手をあて、現在机の角に寄せている未処理の書類を示唆された。
痛い。

確かに今日の午前中は、君がいなかった。
確かにその間、書類は全く進まなかった。
でもそれは、他の部下のチェックやら何やらがあったからで・・・。
別に直接君がいなかったからじゃない。
…と、思う…。

口に出して言うのも気が引けたので、そんなことを頭の中だけで収め彼女を見ると。
どうやらコチラの言いたいイイワケは彼女には丸分かりだったようだ。
こういう時、長年付き合っているのが仇になる。

彼女に隠し事なんて、通用しない。
そう、隠し事なんて無駄なのだ。

だから

「早く、帰っておいで」

だから、伝えたいことは読まれるより、言いたい。
自分の口で。
自分の声で。
誰よりも、君だけには。

勇気がいることじゃないけれど。

(普通の女性だと問題はないのだが、彼女は別だ。
食事に誘ったり、「ウチへ来ないか?」とか誘ったりする方が相当勇気がいるし、覚悟もいる。
…断られる覚悟が。)

君の反応がほんの少しだけ怖い。
きっと「はい」と答えてくれるだろうけど、問題はその中身。

『ハボック少尉に大佐のお守を任せるのは、あまりに可愛そうですから』
『書類を溜めっぱなしにするのは、大佐にとって不利ですから』
『私がいないと、どうも皆緩むみたいですから』
最近の出張やらで同じ質問をした時は、こんな返事だった。

どうして『貴方ガ傍ニイナイト寂シイ』とか言ってくれないんだろうか、彼女は?

「何故ですか?」

「・・・は?」

予想外の答えに、思わず変な声が零れてしまったぞ、今っ!!
何故デスカ?
『YES』でも『NO』でもなく、君は『Why?』と答えたのか!?

「何故?私がいないと何か大佐に不都合なことでも?」

坦々と、…一体何を考えているんだろうか、彼女は?
普通に考えても、副官がいないと日常の業務に多少なりとも影響が出るというのは、一般論ではないか。

「不都合って…君…」

「『副官がいないと日常の業務に多少なりとも影響が出る』なんていう、のはナシですからね。
大佐なら私がいなくても、そんなものきちんとこなして下さるでしょうから」

彼女の、その小憎たらしいセリフを吐き出す口の端が、かすかに吊り上っていた。
まさか…。
嫌な予感がしてきた。
いや、美味しい予感といった方が確実か?

「まさか、私に言わせるために…」

机のむこうで直立したまま、艶めいた微笑を浮かべながらも可愛らしく首をかしげる。
そこまでされないと、私もわからなかったとは…。

立ち上がり、机を周って彼女の正面に立つ。
その頬を両手で包み込むようにすると、くすぐったそうに茶色の瞳が解ける。

…やっぱり、か。

その悪戯に満ちた瞳の色に、どっと疲れが押し寄せる。
あぁ、なんてタチの悪いイタズラ。

「早く帰ってきてくれ、中尉。君がいないと、仕事も手につかない」

「それで?」

ニコニコと笑いながらも、彼女の追及が続く。

まったく…自分のペースにさえ持ち込めれば、こんなセリフ難なく言えるというのに!
こんなにも、彼女にペースを持っていかれているとやりづらいとは!!
珍しく『こういうこと』で彼女に負けることになるとは。

あぁ、もう可愛くて仕方ない。
このオトシマエどう付けてくれよう?



多分。いや、絶対に顔が真っ赤になっていることは確実なこの状態で。
こんなセリフを私に言わせるのは、君だけ。


「君がいないと、寂しくて死んでしまいそうだ。リザ。」






END



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