* 内緒話 *




机に向かい、珍しくまともに仕事をしていた大佐の足元に、何かが当たった。
軍靴の、足首の上辺りを押しているようだ。

…柔らかい。

ソレが何かなんて、予想はすぐについた。
だからソレに当てないようにゆっくりと椅子を引いて、足元を覗き見る。
最初に目に飛び込んできたのは、黒い塊。
三角の二つの耳と、あまり長くない尾がそれから上へとつき出ている。

「何しに来たんだ?」

呆れたように彼が声をかけると、足元の彼もまた上を見上げた。
鼻も瞳も真っ黒だが、顔は白い。
腹部も白い。

ソレを両手で抱え上げ、大佐は自分の膝の上に降ろした。

「中庭で遊んでたんじゃないのか?ブラックハヤテ号?」

丸い純粋そうな瞳できょとんと見つめられ、彼は苦笑した。
少し首をかしげるしぐさが、膝の上の犬のその飼い主に似ていたのだ。

頭を撫でてやると、気持ちよさ気に目を閉じる。
こっちが手を離してみると、少しの間を置いて傍に来る。

「お前の方が、素直かもしれんな」
前足の付け根を持って、小さな子供にするように『高い高い』をした。
犬の後ろ足がブラブラして、尾もバランスを取ろうとしているように見えた。
まぁ、別に犬に詳しくない彼が犬をどこまで理解しているかは不明だが。
少なくとも、腰を不安定に宙に浮かせることは犬に良くない。
飼い主に見つかったら、叱咤されるだろう。
…間違いなく。
ただ、それをこの場にいる男たちが予測できていないだけで…。

「そういえば、お前に前々から言わなければいけない事があった」

再び膝の上にブラックハヤテ号を置き、くるりと180度椅子を回転させ外を向く。
南向きに窓のとられたこの部屋では、天気がいいと一日中日光浴ができる。
今日も太陽は、ご機嫌麗しいようだ。

「いいか?お前がご主人である中尉の事が好きなのは知っている」

自分の飼い主の呼び名が出た為か、犬は尻尾を振った。
ハッハッ、と舌も出した。

「待て、話は終っていない」

待て、といつも厳しく言われている言葉に、ブラックハヤテ号は敏感だった。
上げかけていた腰を下げ、おとなしく『マテ』を実行中だ。

「しかし、私の方がお前の何倍も彼女が好きなんだ。わかるか?」

わかるか。 通常、人間でない犬に人間の言葉はわからない。
彼が人間の言葉を理解していたら、きっと中尉は犬とタッグを組んでいただろう。

「お前より、私の方が彼女を大切に……出来…ないか…」

説得するように言い聞かせていた大佐が、うつむく。
その目はどこか淋しそうだった。
その変化を感じたブラックハヤテ号がは、『くぅん』となく。

「私が中尉を束縛すればするほど、彼女は常に危険に身を置くことになる」

彼は左手で自分のこめかみを抑え、かすれるような声で囁いた。

「矛盾した独占欲だな…」

ぴくりと膝の上での動きを感じ、ソレを見下ろす。
黒く丸い目が彼を見ていた。
いや、少し視線がずれている。
彼の後ろの何かを見ているようだ。
その視線を辿るように、首だけ後ろに捻る。
そして、闇。

「本当ですね」

彼の唇に触れた何かが、愛しい人の声を紡ぎ出す。
柔らかな、濡れたその感触。
少しだけ甘い、その口紅の匂いだって既に体が覚えているもの。
指で目を押さえられた彼は、それでも瞼の裏に副官の姿を見た。
きっとその髪は、日に当たってキラキラと飴細工のように輝いている。
昼下がりの口付けは、優しい。
目隠しが外された頃、ブラックハヤテ号は彼女の元へと駆けて行った。
そうして、彼女は何事もなかったかのように犬を抱き上げた。

「いないと思って探していたんですよ。こんな所まで来てるなんて…」

そうして、片手で机の上の積まれた書類を捲る。
数枚の未処理書類の方も確認して、足元に犬をおろす。

「ブラックハヤテ号と遊んでらしたから、まだなのかと思ったら」
「今日はまじめにしていたからな。早めに帰れるだろう」

彼女はテキパキと処理済の書類を二山に分けて、その一つを手にした。
ご主人の退室を察知した犬は、きちんと閉まっていなかった扉を鼻先で押し開ける。
それでは、と一度頭を下げた彼の副官は一度止まり、思い出したように付け加えた。

「そういえば、私よりも素直じゃない誰かさんがいるということを、どうぞお忘れなく」

パタン

黒い鼻先で扉を閉められ、大佐は目をパチクリさせた。
犬は優雅に彼女をエスコートして出て行ってしまった。
さすがに躾が行き届いているらしく、飼い主似のしっかりものだった。
そして、残されたのは…。

素直じゃない男。

仕方なく、彼には呆れたように笑うしか出来なかった。

数分すれば、もう一つの山を取りに彼女が戻ってくるだろう。
素直になれということは、素直になっていいということなのだろうか?
もちなおしたように、彼はニヤリといつもの笑みを作った。


とりあえずは、夕食に誘ってみよう。
もちろん、彼女の優秀な愛犬も込みで。






END



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